【世界史】イスラーム世界の形成と発展、流れを地図と年表でわかりやすく解説!イスラム王朝の覚え方


大学受験のイスラーム世界

世界史で頻出の「イスラム世界」の解説と、効率的な暗記方法をお伝えしていきます!
筆者

記事と筆者の信頼性

・難関大学に世界史受験で合格した人が記事を執筆

・早稲田大学卒の予備校講師が、さらに分かりやすく編集

・編集者は予備校講師として、2,000人以上の受験生を指導

大学受験の世界史を勉強する上で、避けて通れないのが「イスラーム世界」。

普段聞き慣れない名前が多いだけでなく、様々な王朝が時期を重ねて現れたり消えたりするので、厄介に感じている人も多いでしょう。

苦手とする人が多く、なおかつ頻出のイスラム世界をマスターできれば、他の受験生と差をつけることができます。

そんなイスラーム世界を勉強するコツは、「徹底的に時代に分けて覚える」こと。

「イスラーム世界の流れと形成と発展」「イスラーム世界の王朝の覚え方」「入試や定期テストの対策法」の3つをわかりやすく解説していきます!

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イスラーム世界の概要から解説

イスラーム世界の大まかな流れを解説していくので、必要に応じてノートにまとめていってください!
筆者

当然ですがイスラーム世界は、イスラム教という考え方が生まれて始めて誕生します。

つまりスタートは7世紀初め

ここから現代にかけて、様々なイスラーム国家が興亡を繰り返していきます。

まず簡単に時代で分けてみましょう。

 

具体的な時代の流れ

7世紀:イスラム教の誕生(ムハンマド朝)・正統カリフ時代

8世紀前半:ウマイヤ朝(誕生は661年)

8世紀後半〜13世紀中盤:アッバース朝・他多数王朝

13世紀中盤〜15世紀:ナスル朝・マムルーク朝・オスマン帝国・モンゴル系王朝・ティムール朝・デリー=スルタン朝

16世紀〜18世紀:オスマン帝国・イラン地域王朝(サファヴィー朝・カージャール朝など)三ハン国・ムガル帝国

現代史

 

これで時代の流れが掴みやすくなったと思います。

かなり大雑把ですが、上記のような時代のまとまりを、ノートに書き込んで覚えるのがセオリーです。

定期テストや入試問題でも出題されるので、時代ごとに分けてしっかりと覚えておきましょう。

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イスラーム世界:7世紀

7世紀はイスラム教の始まり。

覚える量はそれほど多くありませんが、頻出の時代です。

まずは基本的な年号をおさえましょう。

 

重要な年号

610年:ムハンマド、メッカ郊外のヒラー山で神の啓示を受ける

622年(イスラーム元年):ムハンマド、迫害を逃れてメッカからメディナへ移住【ヒジュラ(聖遷)】

630年:ムハンマド、メッカを取り戻し、カーバ神殿をアッラーのみの神殿とする

642年:ニハーヴァンドの戦い(第2代カリフのウマルがササン朝を破る)

 

上記は最低限の年号ですが、共通テストレベルであれば十分です。

 

7世紀のイスラム世界の4つのポイント

①ムハンマドはクライシュ族のハーシム家に誕生

ムハンマドがイスラム教を創始します。

彼は預言者(神のお告げを受ける人)であり、神ではありません。

神はアッラーのみ。

一神教というのがイスラム教の特徴です。

 

②イスラーム元年の年号

622年はヒジュラだけでなく、イスラーム元年であるということも頭に入れておきましょう。

頻出なので地図で必ず、メッカとメディナの位置を確認しておいてください!

 

③カーバ神殿は630年に建てられていない

カーバ神殿はもともとメッカにあった神殿で、昔からその地域の様々な神様を祀っていましたが、630年にムハンマドがアッラーのみを祀る神殿とします。

補足ですがアッラーも、その地域の神様の1つでした。

 

④正統カリフ時代の4人

ムハンマドの死後、その後継者=カリフである、「アブー=バクル」「ウマル」「ウスマーン」「アリー」の4人の時代が正統カリフ時代

ニハーヴァンドの戦いは、第2代カリフのウマルが異教徒に対する聖戦(ジハード)の1つです。

ウマルはジハードの最中、ビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪っています。

正統カリフ時代の4人は頻出なので、しっかりと覚えておきましょう。

カリフ時代の4人

初代 アブー=バクル→ムハンマドの義父

第2代 ウマル→ニハーヴァンドの戦い

第3代 ウスマーン→イスラム教の聖典『コーラン』が完成

第4代 アリー→シリア総督ムアーウィヤに暗殺される

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イスラーム世界:8世紀前半

ウマイヤ朝は第4代カリフである「アリー」を暗殺した、「ムアーウィヤ」が創始しました。

ムアーウィヤはカリフの称号を受け継いでいる、ということも頭に入れておきましょう。

ウマイヤ朝の都はダマスクスで、現在のシリアです。

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重要な年号

661年:ウマイヤ朝成立

711年:第6代カリフ、ワリード1世がイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼす(最盛期)

732年トゥール・ポワティエ間の戦い(ウマイヤ軍がフランク王国のカール=マルテルに破れる)

750年:アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派の協力を得て、ウマイヤ朝を倒す。アッバース朝成立

 

ウマイヤ朝が滅びるまで

ウマイヤ朝は「圧政だった」ため、100年ももたずに滅びました。

支配者層はムスリムの中でもアラブ人に限られており、非アラブのイスラム教徒はマワーリーと呼ばれて差別を受け、ジズヤと呼ばれる人頭税の支払いを要求されました。

また非アラブ人であれば地租であるハラージュも課せられ、生活を圧迫されました。

このような圧政の結果、各地で反動が起こり、ウマイヤ朝は短期間で滅んだのです。

ウマイヤ朝の政治形態アッバース朝の政治形態と比較されますので、整理して覚えておきましょう。

 

イスラム世界の重要な用語

シャリーア:イスラーム法

スンナ派:正統カリフ時代の4人のカリフを正統な後継者と位置付ける。

シーア派:アリーのみを正統な後継者と位置付ける。

カリフ:ムハンマドの後継者

マワーリー:非アラブのムスリム

ジズヤ:人頭税

ハラージュ:地租

ジンミー:非イスラム教との非アラブ人。ジズヤを払うことで保護される庇護民

イマーム:シーア派の最高指導者。カリフと異なり聖俗両権を保有

ウンマ:イスラーム教徒の共同体

ミレット:非イスラーム教徒の宗教別共同体

ミスル:軍営都市。征服地の拠点に建設

ワクフ:公共施設の運営のための寄付を行う制度

ウラマー:知識人、学者

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イスラーム世界:8世紀後半〜13世紀中盤

この時代は少し複雑で混乱しやすいので、注意して覚えていきましょう!
筆者

圧政に耐えかねて、アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派と協力してウマイヤ朝を倒し、アッバース朝を創始しました。

アッバース朝の都はバグダード

第2代カリフであるマンスールが建設しました。

アッバース朝は9世紀後半まで、イスラーム世界を束ねる大きな帝国となります。

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重要な年号

751年:タラス河畔の戦い(高仙芝率いる唐軍を破る。製紙法が伝わる)

946年:ブワイフ朝、バグダード入城(カリフから大アミールの称号を授かる)

969年:ファーティマ朝、エジプトにカイロを建設

1055年:セルジューク朝、バグダード入城(カリフからスルタンの称号を授かる)

1071年:マンジケルトの戦い(セルジューク朝がビザンツ帝国を破り、小アジアを獲得)

 

アッバース朝の解説

 

①アッバース朝はウマイヤ朝の政治を反省

非アラブであってもムスリムであれば、平等に扱うように改善されました。

そのためウマイヤ朝が「アラブ帝国」と呼ばれるのに対して、アッバース朝は「イスラーム帝国(イスラム帝国)」と呼ばれます。

アラブ人以外でもジズヤは免除され、ペルシア人なども政府の要職に就くことができるようになりました。

しかしシーア派のみ弾圧されました。

 

②アッバース朝の最盛期

最盛期は第5代カリフのハールーン=アッラシードの時代に迎えます。

アッラシードはフランク王国のカール大帝と使節を交わす仲でした。

 

③9世紀以降

白人奴隷(主にトルコ人)のマムルークが、イスラームの兵力となります。

とても強力な兵士だったそうです。

 

アッバース朝はとても大きな帝国でしたが、各地で勢力が生まれ、次第にアッバース朝のカリフの力は形式的なものとなっていきます。

中国の春秋時代の周のようなイメージです。

 

イベリア半島

イベリア半島の地図

後ウマイヤ朝(756年〜1031年)

アッバース朝を逃れたウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン1世が、756年にイベリア半島に建てた王朝。

都はコルトバ

ここから1492年のレコンキスタ完了まで、イスラームがイベリア半島を支配することになります

全盛期は10世紀のアブド=アッラフマーン3世の時代。

彼はカリフを名乗ったため、「後ウマイヤ朝」「アッバース朝」「ファーティマ朝」の3人のカリフが同時に立つことになります。

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北アフリカ(マグリブ地方)

 

大まかな流れ

アグラブ朝(800年〜909年)

ファーティマ朝(909年〜1171年)→969年にエジプトにカイロを建設。アグラブ朝を倒してマグリブ地方からエジプト一帯に進出するが、981年にマグリブ地方から離れる。

ムラービト朝(1056年〜1147年)

ムワッヒド朝(1130年〜1269年)

 

暗記する際の3つのポイント

①ムラービト朝、ムワッヒド朝はともにベルベル人が建て、都はマラケシュ

ムラービト朝は11世紀ムワッヒド朝は12世紀に成立。(頻出の内容)

③ムワッヒド朝支配下のイベリア半島では。哲学者のイヴン=ルシュドが活躍。

 

北アフリカ(エジプト)

エジプトの地図

 

大まかな流れ

紫はシーア派

ファーティマ朝(909年〜1171年)

アイユーブ朝(1169年〜1250年)

アムルーク朝(1250年〜1517年)

オスマン帝国(1299年〜1922年)

 

暗記のポイント

エジプト地域の王朝はファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の3つの王朝が暗記の中心。

難しいようで覚えることはあまり多くないのできちんと覚えましょう。

 

ファーティマ朝はマグリブ地方で成立

エジプトに進出したのは、969年のカイロ建設より。

カイロは、ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の都であり、現在のエジプトの首都でもあります。

 

②イスマイール派が国境に

ファーティマ朝はシーア派であり、その中でも過激なイスマイール派を国教としました。

君主はカリフを称し、後ウマイヤ朝、アッバース朝と対立します。

カイロにあるシーア派の大学、アズハル学院は世界最古の大学です。

 

③アイユーブ朝を建国

クルド人の将軍サラディン(サラーフ=アッディーン)が、ファーティマ朝を倒してアイユーブ朝を建国。

エジプトとシリアを支配下にします

サラディンは1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を撃退し、イェルサレム王国を滅ぼしました。

国政としては、シリアとエジプトにイクター制を導入します。

※イクター制については後で詳しく解説。

 

④バイバルスが第5代スルタンに

マムルーク朝では軍司令官バイバルスが、1260年のアイン・ジャールートの戦いでイル=ハン国軍を破り、第5代スルタンになります。

1291年には十字軍の最後の拠点アッコンを陥落させます。

地中海とインド洋を結ぶ香辛料貿易で栄えますが、1509年のディウ沖海戦でポルトガルに敗れ紅海とアラビア海の覇権を失い、1517年にオスマン帝国のセリム1世に滅ぼされました。

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メソポタミア・イラン

メソポタミア・イランの地図

 

大まかな流れ

※紫はシーア派、黄はモンゴル系

ブワイフ朝(932年〜1062年)

セルジューク朝(1062年〜1157年分裂)

ホラズム=シャー朝(1077年〜1231年)

モンゴル帝国(1231年〜1258年)

イル=ハン国(1258年〜1353年)

 

ホラズム=シャー朝は、セルジューク朝から自立したトルコ系奴隷によって中央アジアに建国されましたが、セルジューク朝の分裂後にイランに進出しています。

主に「ブワイフ朝」「セルジューク朝」「イル=ハン国」を中心に覚えれば十分です。

 

①十二イマーム派を国教に

ブワイフ朝はイラン系の民族で形成されており、シーア派の中の十二イマーム派を国教としました。

同じシーア派でも、イスマイール派を国教としていたファーティマ朝とは対立していました

946年頃にバグダードに入城し、アッバース朝のカリフから大アミールの称号を授かります

また兵士に俸給(アター)を与える代わりに、土地の徴税権(イクター)を与えるイクター制を創始しました。

 

②カリフからスルタンの称号を獲得

セルジューク朝の建国者で初代スルタンであるトゥグリル=ベクは、1055年ブワイフ朝を倒してバグダードに入城し、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得ました

スルタンとは政治的指導者のようなもので、例えるなら天皇(=カリフ)が将軍(=スルタン)の地位を与える、といった感じになります。

カリフは政治的権力を譲る一方で、宗教的権威を保とうとしたわけですね。

1071年にはマンジケルトの戦いで、ビザンツ帝国を破りシリアと小アジアを奪います。

ただその後1157年に分裂し、小アジアにあった地方政権がルーム=セルジューク朝として残ります。

 

③セルジューク朝の最盛期

セルジューク朝の民族系統はトルコ系。

マリク=シャーの時代に最盛期を迎えます。

宰相のニザーム=アルムルクイクター制を整備し、また各地にニザーミーヤ学院を設立しました。

文化の面では、『ルバイヤート』の作者で有名なウマル=ハイヤームが活躍しました。

 

④フラグがアッバース朝を滅ぼす

モンゴル帝国第4代ハン、モンケ=ハンに西アジア遠征を命じられたフラグは1258年にバグダードを攻略し、アッバース朝を滅ぼしました。

西アジア東部を支配下に入れた後、1260年フラグはシリアに侵入、アレッポとダマスカスを征服します。

同年、モンケ=ハン死去の報告が入り帰還しようとしますが、帝位継承戦争が始まった為に西アジアに留まることを決意し、イランにイル=ハン国を建国します。

 

⑤イル=ハン国について

イル=ハン国の都はタブリーズ

13世紀末、ガザン=ハンの時代にイスラム教を国教とします。

ガザン=ハンは『蒙古集史』を著した歴史家のラシード=ウッディーンを宰相に任命し、土地制度や税制の改革を行わせました。

しかし1353年に分裂したイル=ハン国は、最終的にティムール帝国によって滅ぼされます。

 

メソポタミア・イラン地域のポイントは、バグダード入城の年号

ブワイフ朝(946年)→セルジューク朝(1055年)→イル=ハン国(1258年)の順にで、「釧路(946)にGO!GO!(1055)いつ壊す?(1258)」という形で語呂合わせで覚えるのがおすすめです。

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中央アジア・アフガニスタン

中央アジア・アフガニスタンの地図

 

大まかな流れ

※黄はモンゴル系

サーマーン朝(875年〜999年)

カラハン朝(940年頃〜1132年)

西遼(カラ=キタイ)(1132年〜1211年)

ホラズム=シャー朝(1077年〜1231年)

チャガタイ=ハン国(1231年〜1321年分裂)

西チャガタイ=ハン国(〜1370年)

 

サーマーン朝(875年〜999年)

ガズナ朝(962年〜1186年)

ゴール朝(1148年頃〜1215年)

デリー=スルタン朝(1206年〜1526年)

東チャガタイハン国(〜1395年)

 

暗記のポイント

この地域は非常に複雑見えますが、覚えることはとても簡単。

イラン系初のイスラーム王朝であるサーマーン朝が、中央アジアからアフガニスタンにかけて建国されます。

サーマーン朝の後、中央アジアにカラハン朝、アフガニスタンにガズナ朝がそれぞれ建国されました。

中央アジアのカラハン朝の後には、ホラズム=シャー朝西遼がそれぞれ建国され、ガズナ朝の後にはアフガニスタンからインド北西にかけてゴール朝が建国されます。

しかしモンゴル帝国のチャガタイ=ハンによって、中央アジアとアフガニスタンの地域が征服され、チャガタイ=ハン国が建国されるのです。

インド北部では、ガズナ朝からイスラームの考え方がインドに流入し、デリー=スルタン朝が生まれます。

 

文章だとわかりにくいので、ノートに図でまとめるようにしてみてください。

ガズナ朝→ゴール朝の流れと、イスラーム文化がインド方面に近づいているという点がポイントとなります。

デリー=スルタン朝は、インド史でまとめて覚えましょう。

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イスラーム世界:13世紀中盤〜15世紀

イスラーム世界の中心は、オスマン帝国へと移動していきます。

地域別に見ていきましょう。

 

イベリア半島

重要なのは後ウマイヤ朝の都がコルトバであったのに対し、ナスル朝の都はグラナダであるという点。

グラナダにはアルハンブラ宮殿が建てられました。

イヴン=ハルドゥーンと呼ばれる歴史家が王朝に仕えていたのも有名です。

しかしキリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)が進み、1492年にナスル朝(1232年〜1492年)は滅亡しました。

イベリア半島最後のイスラーム王朝はナスル朝で、ナスル朝はスペイン帝国に征服されます。

 

メソポタミア・イラン・中央アジア・アフガニスタン

ティムール帝国ティムールが西チャガタイ=ハン国から自立し建国されました。

都はサマルカンド

ティムールはキプチャク=ハン国や北インドのデリーに侵入しましたが、中でも1402年アンカラの戦いでオスマン帝国を破ったのが有名。

オスマン帝国のスルタンであったバヤジット1世を捕虜にし、オスマン帝国を一時滅亡に追い込みました。

しかしティムールは1405年に、明遠征中に病死してしまいます。

ちなみにこの時の明の皇帝は永楽帝でした。

 

イスラーム世界:16世紀〜18世紀

イスラーム世界に限らず、世界的に見てもとても大きな勢力となったのがオスマン帝国。

インドではパーニーパットの戦い(1526年)でデリー=スルタン朝が滅亡し、ムガル帝国が建国されます。

オスマン帝国とサファヴィー朝、三ハン国の3つの王朝を、それぞれ掘り下げていきましょう。

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オスマン帝国(1299年〜1922年)

とても大きな勢力を誇った国で、イスラーム世界に限らず、ヨーロッパの国々にも大きな影響を与えました。

面白いのが、成立と滅亡の年号が似ているという部分です。

指導者ごとに説明していきます。

 

オスマン1世

1299年 アナトリアに建国。

1326年 ブルサを都とする。

 

ムラト1世

1366年 アドリアノープルに遷都。

 

バヤジット1世

1396年 ニコポリスの戦いハンガリー王ジギスムントを破る)

1402年 アンカラの戦いティムールに捕らえられる)

→一時滅亡

 

メフメト1世

1413年 オスマン朝再興

 

メフメト2世

1453年 ビザンツ帝国を滅ぼして、コンスタンティノープルを占領し都にして、イスタンブルと名前を変更する。

1475年 クリム=ハン国を保護国として、黒海制海権を握る。

 

セリム1世

1514年 サファヴィー朝を破り、タブリーズを占領。

1517年 マムルーク朝を滅ぼす。メッカ・メディナの保護権を獲得する。

 

スレイマン1世

全盛期を迎える。

1526年 モハーチの戦い(ハンガリー領有)

1529年 第1次ウィーン包囲。神聖ローマ皇帝カール5世を圧迫。

1536年 仏王フランソワ1世と同盟(カピチュレーションを認める)

1538年 プレヴェザの海戦(スペイン・ヴェネツィアを破り、地中海の覇権を握る)

 

セリム2世

1571年 レパントの海戦(スペイン軍に大敗)

 

アフメト3世

チューリップ時代。西洋趣味が流行する。

 

アブデュルメジト1世
アブデュルハミト2世

大きなポイントは、「都の変化」と「2つの海戦」

順番と内容はしっかり暗記しておきましょう。

ちなみに私は「プレヴェザの海戦、降参したのは(1538)スペイン」「レパントの海戦、もう来ない(1571)オスマン」と覚えていました。

 

またオスマン帝国にはデウシルメと呼ばれる制度がありました。

これにより、バルカン半島のキリスト教徒の子供たちを強制的に徴用し、イェニチェリと呼ばれる常備歩兵軍団に配属させたのです。

しかし帝国内では宗教別共同体のミレットにそれぞれ信仰の自由と自治を許すなど、異教徒に寛容な部分も見られました。

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サファヴィー朝

1501年に、シーア派のトルコ系の遊牧集団であるキジルバシュの支援の元、イスマイール1世が建国しました。

イスマイール1世は神秘主義教団の教主で、シーア派の十二イマーム派を国教としました。

この王朝では、君主に伝統的なイラン称号であるのシャーを用いたそうです。

都はタブリーズ→カズウィーン→イスファハーンへと遷っていきましたが、中でもイスファハーンは「世界の半分」と呼ばれるほどの繁栄を見せました。

最盛期はアッバース1世時代に迎え、ポルトガルよりホルムズ島を奪回しました。

しかし1736年にアフガン人の侵入によって滅亡し、後にアフシャール朝が開かれることになります。

 

三ハン国

三ハン国とは、ブブハラ=ハン国」「ヒヴァ=ハン国」「コーカンド=ハン国」の総称。

ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国は1500年頃、コーカンド=ハン国は18世紀初めに中央アジアに建国されましたが、いずれも19世紀にロシアの保護国、あるいは併合されました。

共通テストの選択肢によく出てくるので、覚えておきましょう。

 

イスラーム世界の勉強法&覚え方まとめ

かなり長い文章になりましたが、イスラム世界は定期テストでも入試問題でも頻出です。

ノートにまとめながら、時代ごとに分けて勉強を進めると、理解しやすくなります。

特に複雑な8世紀後半〜13世紀中盤にかけては地図を活用し、地理で分けてみると良いでしょう。


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