【大学受験エバースタディ】~大学受験の勉強法~

【世界史】イスラーム世界の流れや発展を、地図と年表でわかりやすく!王朝の覚え方も【大学受験勉強法】


⇒【1カ月で】早慶・国公立の英語長文がスラスラ読める勉強法はこちら➡

⇒【天才?凡人?】勉強センス診断はこちら

153秒で読めます。

「時代と地域」イスラーム世界を覚えるポイント

イスラーム世界

 

世界史を勉強する上で避けて通れないのが「イスラーム世界」。

普段聞き慣れない名前が多いだけでなく、様々な王朝が時期を重ねて現れたり消えたりするので、厄介に感じている人も多いでしょう。

しかし、入試での出題頻度は高く、放置は出来ない分野です。

裏を返せば、イスラーム世界をマスターできれば他の受験者と差をつけることができます。

そんなイスラーム世界を勉強するコツとは、「徹底的に時代に分けて覚える」こと。

理由は簡単、入試で聞かれるポイントだから。

実際にやってみましょう。

>>英語の偏差値が40から70に上がる方法、知りたくないですか?➡

 

大まかな時代の流れを理解しよう

 

当たり前ですが、イスラーム世界はイスラム教という考え方が生まれて始めて誕生します。

つまりスタートは7世紀初め

ここから現代にかけて様々なイスラーム国家が興亡を繰り返していきます。

まず、簡単に時代で分けてみましょう。

 

7世紀:イスラム教の誕生(ムハンマド朝)・正統カリフ時代

8世紀前半:ウマイヤ朝(誕生は661年)

8世紀後半〜13世紀中盤:アッバース朝・他多数王朝

13世紀中盤〜15世紀:ナスル朝・マムルーク朝・オスマン帝国・モンゴル系王朝・ティムール朝・デリー=スルタン朝

16世紀〜18世紀:オスマン帝国・イラン地域王朝(サファヴィー朝・カージャール朝など)三ハン国・ムガル帝国

現代史

 

これで時代の流れが掴みやすくなったと思います。

かなり大雑把ですが、基本的に上記のような時代のまとまりが覚えるセオリーになります。

では早速、時代ごとに見ていきましょう。

>>あなたは天才?凡人?「勉強センス診断」はこちら

 

時代区分に分けて中身を掴む

 

7世紀

 

7世紀はイスラム教の始まり。

覚える量はそれほど多くありませんが、だからこそよく聞かれる部分になります。

まず、基本的な年号をおさえましょう。

 

610年:ムハンマド、メッカ郊外のヒラー山で神の啓示を受ける

622年:ムハンマド、迫害を逃れてメッカからメディナへ移住【ヒジュラ(聖遷)】

この年がイスラーム元年とされる

630年:ムハンマド、メッカを取り戻し、カーバ神殿をアッラーのみの神殿とする

642年:ニハーヴァンドの戦い(第2代カリフのウマルがササン朝を破る)

 

最低限の年号は、これでいいでしょう。

センター試験に関してはこれで完璧。

では、いくつかポイントを説明します。

 

①ムハンマドはクライシュ族のハーシム家に生まれました。

彼がイスラム教を創始します。

ご存知かと思いますが、彼は預言者(神のお告げを受ける人)であり、神ではありません。

神はアッラーのみ。

一神教というのがイスラム教の特徴です。

 

②入試で多く聞かれるのが「イスラーム元年は何年か」。

622年はヒジュラだけでなく、イスラーム元年であるということも頭に入れておきましょう。

(地図で必ず、メッカとメディナの位置を確認しておいてください!)

 

カーバ神殿は、630年に建てられたのではありません

もともとメッカにあった神殿で、昔からその地域の様々な神様を祀っていましたが、630年にムハンマドがアッラーのみを祀る神殿としたのです。

ちなみにアッラーもその地域の神様の一つでした。

 

④正統カリフ時代とは、ムハンマドの死後、その後継者=カリフである、アブー=バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの4人の時代のことを指します。

ニハーヴァンドの戦いは第2代カリフのウマルが異教徒に対する聖戦(ジハード)の一つです。

ちなみに彼はジハードの最中、ビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪っています。

下に正統カリフ時代の4人について記しておきます。

 

初代 アブー=バクル→ムハンマドの義父

第2代 ウマル→ニハーヴァンドの戦い

第3代 ウスマーン→イスラム教の聖典『コーラン』が完成

第4代 アリー→シリア総督ムアーウィヤに暗殺される

 

8世紀前半

 

ウマイヤ朝は第4代カリフであるアリーを暗殺したムアーウィヤが創始しました。

ムアーウィヤはカリフの称号を受け継いでいる、ということも頭に入れておきましょう。

ウマイヤ朝の都はダマスクス。現在のシリアの都市。

では年号を見てましょう。

 

661年:ウマイヤ朝成立

711年:第6代カリフ、ワリード1世がイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼす(最盛期)

732年トゥール・ポワティエ間の戦い(ウマイヤ軍がフランク王国のカール=マルテルに破れる)

750年:アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派の協力を得て、ウマイヤ朝を倒す。アッバース朝成立

 

ウマイヤ朝は100年もたずに滅びました。その理由は圧政だったということ。

支配者層は、ムスリムの中でもアラブ人に限られており、非アラブのイスラム教徒はマワーリーと呼ばれて差別を受け、ジズヤと呼ばれる人頭税の支払いを要求されました。

また非アラブ人であれば地租と呼ばれるハラージュも課せられ、生活を圧迫されました。

このような圧政の結果、各地で反動が起こり、ウマイヤ朝は短い期間で滅んだのです。

ウマイヤ朝の政治形態はしばしば次に記すアッバース朝の政治形態と比較されます。よく覚えておきましょう。

(※下にイスラームの用語を載せておきます。よく聞かれるので暗記必須です!)

 

シャリーア:イスラーム法

スンナ派:正統カリフ時代の4人のカリフを正統な後継者と位置付ける。

シーア派:アリーのみを正統な後継者と位置付ける。

カリフ:ムハンマドの後継者

マワーリー:非アラブのムスリム

ジズヤ:人頭税

ハラージュ:地租

ジンミー:非イスラム教との非アラブ人。ジズヤを払うことで保護される庇護民

イマーム:シーア派の最高指導者。カリフと異なり聖俗両権を保有

ウンマ:イスラーム教徒の共同体

ミレット:非イスラーム教徒の宗教別共同体

ミスル:軍営都市。征服地の拠点に建設

ワクフ:公共施設の運営のための寄付を行う制度

ウラマー:知識人、学者

 

8世紀後半〜13世紀中盤

 

この区分は混乱しやすい時代です。気を引き締めてかかりましょう。

圧政に耐えかねて、アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派と協力してウマイヤ朝を倒し、アッバース朝を創始しました。

アッバース朝の都はバグダード

第2代カリフであるマンスールが建設しました。

また、アッバース朝は9世紀後半まで、イスラーム世界を束ねる大きな帝国となります。

では年号を見て行きましょう。

 

751年:タラス河畔の戦い(高仙芝率いる唐軍を破る。製紙法が伝わる)

946年:ブワイフ朝、バグダード入城(カリフから大アミールの称号を授かる)

969年:ファーティマ朝、エジプトにカイロを建設

1055年:セルジューク朝、バグダード入城(カリフからスルタンの称号を授かる)

1071年:マンジケルトの戦い(セルジューク朝がビザンツ帝国を破り、小アジアを獲得)

 

アッバース朝について説明します。

 

①アッバース朝はウマイヤ朝の政治を反省して、非アラブであってもムスリムであれば平等に扱いました。

そのため、ウマイヤ朝が「アラブ帝国」と呼ばれるのに対して、アッバース朝は「イスラーム帝国」と呼ばれます。

アラブ人以外でもジズヤは免除され、ペルシア人なども政府の要職に就くことができるようになりました。

しかしシーア派のみ弾圧されました。

 

②アッバース朝の最盛期は第5代カリフのハールーン=アッラシードの時代に迎えます。

彼はフランク王国のカール大帝と使節を交わす仲でした。

 

③9世紀以降、白人奴隷(主にトルコ人)のマムルークがイスラームの兵力となります。

とても強力な兵士だったそうです。

 

アッバース朝はとても大きな帝国でしたが、各地で勢力が生まれ、次第にアッバース朝のカリフの力は形式的なものとなります。

中国の春秋時代の周のようなイメージです。

ここでは「地理」を意識することが重要となるので頭に入れておきましょう。

 

イベリア半島

 

後ウマイヤ朝(756年〜1031年)

アッバース朝を逃れたウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン1世が756年にイベリア半島に建てた王朝。

都はコルトバ

ここから1492年のレコンキスタ完了まで、イスラームがイベリア半島を支配することになります

全盛期は10世紀のアブド=アッラフマーン3世の時代。

彼はカリフを名乗ったため、後ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝の3人のカリフが同時に立つことになります。

 

北アフリカ(マグリブ地方)

 

アグラブ朝(800年〜909年)

ファーティマ朝(909年〜1171年)→969年にエジプトにカイロを建設

アグラブ朝を倒してマグリブ地方からエジプト一帯に進出するが、981年にマグリブ地方から離れる。

ムラービト朝(1056年〜1147年)

ムワッヒド朝(1130年〜1269年)

 

少しややこしい名前が多いが、覚えるポイントは明確。

 

①ムラービト朝、ムワッヒド朝はともにベルベル人が建て、都はマラケシュ

ムラービト朝は11世紀ムワッヒド朝は12世紀に成立した、と覚えよう。センター試験でよく聞かれる!

③ムワッヒド朝支配下のイベリア半島では哲学者のイヴン=ルシュドが活躍しました。

 

北アフリカ(エジプト)

 

紫はシーア派

ファーティマ朝(909年〜1171年)

アイユーブ朝(1169年〜1250年)

アムルーク朝(1250年〜1517年)

オスマン帝国(1299年〜1922年)

 

エジプト地域の王朝はファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の3つの王朝が暗記の中心。

難しいようで覚えることはあまり多くないのできちんと覚えましょう。

 

ファーティマ朝が成立したのはマグリブ地方

エジプトに進出したのは、969年のカイロ建設より。

カイロは、ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の都であり、現在のエジプトの首都でもあります。

 

②ファーティマ朝はシーア派であり、その中でも過激なイスマイール派を国教としました。

また君主はカリフを称し、後ウマイヤ朝、アッバース朝と対立します。

カイロにあるシーア派の大学、アズハル学院は世界最古の大学です。

 

③クルド人の将軍、サラディン(サラーフ=アッディーン)がファーティマ朝を倒してアイユーブ朝を建国。

エジプトとシリアを支配下にします

サラディンは1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を撃退し、イェルサレム王国を滅ぼしました。

国政としては、シリアとエジプトにイクター制を導入します。

※イクター制については後に記載!

 

④マムルーク朝では、軍司令官バイバルスが1260年のアイン・ジャールートの戦いでイル=ハン国軍を破り、第5代スルタンにとなります。

1291年には十字軍の最後の拠点アッコンを陥落させます。

地中海とインド洋を結ぶ香辛料貿易で栄えますが、1509年のディウ沖海戦でポルトガルに敗れ紅海とアラビア海の覇権を失い、1517年にオスマン帝国のセリム1世に滅ぼされました。

 

メソポタミア・イラン

 

※紫はシーア派、黄はモンゴル系

 

ブワイフ朝(932年〜1062年)

セルジューク朝(1062年〜1157年分裂)

ホラズム=シャー朝(1077年〜1231年)

モンゴル帝国(1231年〜1258年)

イル=ハン国(1258年〜1353年)

 

ホラズム=シャー朝はセルジューク朝から自立したトルコ系奴隷によって中央アジアに建国されましたが、セルジューク朝の分裂後イランに進出しているため図に加えました。

主にブワイフ朝、セルジューク朝、イル=ハン国を中心に覚えれば十分です。

 

①ブワイフ朝はイラン系の民族で形成されており、シーア派の中の十二イマーム派を国教としました。

同じシーア派でもイスマイール派を国教としていたファーティマ朝とは対立していました

946年頃にバグダードに入城しアッバース朝のカリフから大アミールの称号を授かります

また、兵士に俸給(アター)を与える代わりに土地の徴税権(イクター)を与えるイクター制を創始しました。

 

②セルジューク朝の建国者で初代スルタンであるトゥグリル=ベクは、1055年ブワイフ朝を倒してバグダードに入城し、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得ました

スルタンとは政治的指導者のようなもので、例えるなら天皇(=カリフ)が将軍(=スルタン)の地位を与える、といった感じになります。

カリフは政治的権力を譲る一方で、宗教的権威を保とうとしたわけですね。

1071年にはマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を破りシリアと小アジアを奪います。

ただその後1157年に分裂し、小アジアにあった地方政権がルーム=セルジューク朝として残ります。

 

③セルジューク朝の民族系統はトルコ系。マリク=シャーの時代に最盛期を迎えます。

宰相のニザーム=アルムルクイクター制を整備し、また、各地にニザーミーヤ学院を設立しました。

文化の面では、『ルバイヤート』の作者で有名なウマル=ハイヤームが活躍しました。

 

④モンゴル帝国第4代ハン、モンケ=ハンに西アジア遠征を命じられたフラグは1258年にバグダードを攻略し、アッバース朝を滅ぼしました。

西アジア東部を支配下に入れた後、1260年フラグはシリアに侵入、アレッポとダマスカスを征服します。

同年、モンケ=ハン死去の報告が入り帰還しようとしますが、帝位継承戦争が始まった為に西アジアに留まることを決意し、イランにイル=ハン国を建国します。

 

⑤イル=ハン国の都はタブリーズ

13世紀末、ガザン=ハンの時代にイスラム教を国教とします。

彼は、『蒙古集史』を著した歴史家のラシード=ウッディーンを宰相に任命し、土地制度や税制の改革を行わせました。

しかし、1353年に分裂したイル=ハン国は、最終的にティムール帝国によって滅ぼされます。

 

この地域のポイントは、バグダード入城の年号です。

ブワイフ朝→セルジューク朝→イル=ハン国の順に、946年→1055年→1258年となっており、「釧路(946)にGO!GO!(1055)いつ壊す?(1258)」という風に語呂合わせで覚えましょう。

 

中央アジア・アフガニスタン

 

※黄はモンゴル系

 

サーマーン朝(875年〜999年)

カラハン朝(940年頃〜1132年)

西遼(カラ=キタイ)(1132年〜1211年)

ホラズム=シャー朝(1077年〜1231年)

チャガタイ=ハン国(1231年〜1321年分裂)

西チャガタイ=ハン国(〜1370年)

 

サーマーン朝(875年〜999年)

ガズナ朝(962年〜1186年)

ゴール朝(1148年頃〜1215年)

デリー=スルタン朝(1206年〜1526年)

東チャガタイハン国(〜1395年)

 

この地域は非常に複雑見えます。

ですが覚えることはとても簡単です。

一旦流れを説明すると、まずサーマーン朝

イラン系初のイスラーム王朝です。

中央アジアからアフガニスタンにかけて建国されます。

この王朝の後、中央アジアにカラハン朝、アフガニスタンにガズナ朝がそれぞれ建国されます。

中央アジアのカラハン朝の後にはホラズム=シャー朝西遼がそれぞれ建国され、ガズナ朝の後にはアフガニスタンからインド北西にかけてゴール朝が建国されます。

しかし、モンゴル帝国のチャガタイ=ハンによって中央アジアとアフガニスタンの地域が征服され、チャガタイ=ハン国が建国されるのです。

インド北部では、ガズナ朝からイスラームの考え方がインドに流入し、デリー=スルタン朝が生まれます。

 

文章だと非常にわかりにくいですが、図にするとわかりやすいです。

ガズナ朝→ゴール朝とイスラーム文化がインド方面に近づいているのが非常にポイントとなります。

デリー=スルタン朝はインド史でまとめて覚えましょう。

 

13世紀中盤〜15世紀

 

この時代区分で、イスラーム世界はオスマン帝国へと中心が移動していきます。

地域別に見ていきましょう。

 

イベリア半島

 

ナスル朝(1232年〜1492年)

スペイン王国

 

重要なのは後ウマイヤ朝の都がコルトバであったのに対し、ナスル朝の都はグラナダであるという点です。

間違えない様にしましょう。

またグラナダにはアルハンブラ宮殿が建てられました。

イヴン=ハルドゥーンと呼ばれる歴史家が王朝に仕えていたのも有名です。

しかしキリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)が進み、1492年にナスル朝は滅亡しました。

イベリア半島最後のイスラーム王朝はナスル朝になります。

 

メソポタミア・イラン・中央アジア・アフガニスタン

 

イル=ハン国

西・東チャガタイ=ハン国

ティムール朝(ティムール帝国)

 

ティムール帝国はティムールが西チャガタイ=ハン国から自立し建国されました。

都はサマルカンド

ティムールはキプチャク=ハン国や北インドのデリーに侵入しましたが、中でも1402年アンカラの戦いでオスマン帝国を破ったのが非常に有名です。

当時、オスマン帝国のスルタンであったバヤジット1世を捕虜にし、オスマン帝国を一時滅亡に追い込みました。

しかしティムールは1405年に、明遠征中に病死してしまいます。

ちなみにこの時の明の皇帝は永楽帝でした。

 

16世紀〜18世紀

 

イスラーム世界に限らず、世界的に見ても非常に大きい勢力となったのがオスマン帝国です。

インドの方ではパーニーパットの戦い(1526年)でデリー=スルタン朝が滅亡し、ムガル帝国が建国されます。

(ムガル帝国についてはインド史で!)ここでは、王朝ごとに見ていきましょう。

とは言っても、オスマン帝国とサファヴィー朝、三ハン国しかありませんが。

 

オスマン帝国(1299年〜1922年)

 

非常に大きな勢力を誇った国で、イスラーム世界に限らず、ヨーロッパの国々にも大きな影響を与えました。

面白いのが成立と滅亡の年号が似ているという部分です。

さて、指導者ごとに説明していきます。

 

オスマン1世

1299年 アナトリアに建国。

1326年 ブルサを都とする。

 

ムラト1世

1366年 アドリアノープルに遷都。

 

バヤジット1世

1396年 ニコポリスの戦いハンガリー王ジギスムントを破る)

1402年 アンカラの戦いティムールに捕らえられる)

→一時滅亡

 

メフメト1世

1413年 オスマン朝再興

 

メフメト2世

1453年 ビザンツ帝国を滅ぼして、コンスタンティノープルを占領し都にする。

イスタンブルと名前を変更する。)

1475年 クリム=ハン国を保護国として、黒海制海権を握る。

 

セリム1世

1514年 サファヴィー朝を破り、タブリーズを占領。

1517年 マムルーク朝を滅ぼす。メッカ・メディナの保護権を獲得する。

 

スレイマン1世

全盛期を迎える。

1526年 モハーチの戦い(ハンガリー領有)

1529年 第1次ウィーン包囲。神聖ローマ皇帝カール5世を圧迫。

1536年 仏王フランソワ1世と同盟(カピチュレーションを認める)

1538年 プレヴェザの海戦(スペイン・ヴェネツィアを破り、地中海の覇権を握る)

 

セリム2世

1571年 レパントの海戦(スペイン軍に大敗)

 

アフメト3世

チューリップ時代。西洋趣味が流行する。

 

アブデュルメジト1世

アブデュルハミト2世

 

大きなポイントは、「都の変化」と「2つの海戦」です。

順番と内容はしっかり暗記しておきましょう。

ちなみに私は「プレヴェザの海戦、降参したのは(1538)スペイン」「レパントの海戦、もう来ない(1571)オスマン」と覚えていました。

 

またオスマン帝国にはデウシルメと呼ばれる制度がありました。

これにより、バルカン半島のキリスト教徒の子供たちを強制的に徴用し、イェニチェリと呼ばれる常備歩兵軍団に配属させたのです。

しかし帝国内では宗教別共同体のミレットにそれぞれ信仰の自由と自治を許すなど、異教徒に寛容な部分も見られました。

 

サファヴィー朝

 

1501年に、シーア派のトルコ系の遊牧集団であるキジルバシュの支援の元、イスマイール1世が建国しました。

また彼は神秘主義教団の教主で、シーア派の十二イマーム派を国教としました。

この王朝では君主に伝統的なイラン称号であるのシャーを用いたそうです。

都はタブリーズ→カズウィーン→イスファハーンへと遷っていきましたが、中でもイスファハーンは「世界の半分」と呼ばれるほどの繁栄を見せました。

最盛期はアッバース1世時代に迎え、ポルトガルよりホルムズ島を奪回しました。

しかし、1736年にアフガン人の侵入によって滅亡し、後にアフシャール朝が開かれることになります。

 

三ハン国

 

三ハン国とは、ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国の総称を指します。

ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国は1500年頃、コーカンド=ハン国は18世紀初めに中央アジアに建国されましたが、いずれも19世紀にロシアの保護国、あるいは併合されました。

センター試験の選択肢にはよく出てくるので、覚えておくと便利でしょう。

 

イスラーム世界の勉強法&覚え方まとめ

 

いかがでしたでしょうか、長い文章になってしまいましたが、時代に分けることでイスラーム世界がより理解しやすくなると思います。

また特に複雑な8世紀後半〜13世紀中盤にかけては、地理で分けてみるとよりわかりやすいと思います。

>>英語の偏差値が40から70に上がる方法、知りたくないですか?

>>60秒でできる!あなたの勉強センス診断はこちら





⇒【1カ月で】早慶・国公立の英語長文がスラスラ読める勉強法はこちら➡
大和@受験講師
現役時は大手予備校に通い、120万円を浪費する。
英語長文が読めないことが原因で、日東駒専を含む12回の受験全てに失敗。

しかし、浪人期にインターネット上で 「誰でも難関国公立・早慶の長文がスラスラ読める読解法」 を発見し、偏差値を77.7まで上げ、早稲田大学に合格。
通っていた偏差値55の高校からは唯一の早稲田合格者だった。

自ら東京に立ち上げた予備校や、当サイトでの指導を通して、勉強法に改良を加え続けている。
開発した「英語長文専用勉強法」で多くの受験生が飛躍的に成績を伸ばしている。


⇒【天才?凡才?】60秒勉強センス診断はこちら!
⇒【なぜ!?】単語や文法を勉強しても英語長文が読めない方はこちら➡

⇒【天才?凡人?】勉強センス診断はこちら

⇒【1カ月で】早慶・国公立の英語長文がスラスラ読める勉強法はこちら➡



無料で、英語 長文の読み方を公開中


無料メールマガジン:英語 長文専用勉強法

たった1ヶ月で、国公立・早稲田・慶應の英語長文がスラスラ読める方法



単語も文法もちょっとは勉強したのに、英語長文が全然読めない・・・
こんな悩みはありませんか?

私はこの状況を打ち破り、偏差値40から偏差値70.4、全国22位まで登りつめました。
その具体的な「英語 長文の読み方」を、無料でお伝えしています。
短期間で一気に偏差値を上げ、色々な人に自慢したいあなたはぜひ登録してください。







5:07 PM

人気記事一覧